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熊本地方裁判所 昭和59年(ワ)292号 判決

原告(昭和五九年(ワ)第二九二号事件)

城哲也

原告(昭和六〇年(ワ)第六四号事件)

永目隆敏

同(前同事件)

千馬良夫

右原告ら訴訟代理人弁護士

竹中敏彦

両事件被告

学校法人尚絅学園

右代表者理事

内藤宏

右訴訟代理人弁護士

塚本安平

塚本侃

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

(昭和五九年(ワ)第二九二号事件)

1  被告が昭和五八年一一月二四日原告に対してなした解雇は無効であることを確認する。

2  被告は原告に対し、金一九八万〇五〇二円を支払え。

3  被告は原告に対し、昭和五九年四月以降毎月二一日限り金二八万二一三六円を支払え。

4  被告は原告に対し、昭和五九年以降毎六月一五日限り金五三万六〇五八円及び毎一二月二一日限り金七〇万五三四〇円を支払え。

5  訴訟費用は被告の負担とする。

6  第二ないし第四項につき仮執行宣言

(同六〇年(ワ)第六四号事件)

1  被告が昭和五九年三月二六日原告永目隆敏及び同千馬良夫に対してなした雇用契約の更新拒絶の意思表示(解雇)は無効であることを確認する。

2  被告は原告永目に対し、金二〇五万三二七〇円、及び昭和六〇年二月以降毎月二一日限り金二〇万五三二七円、並びに同五九年以降毎六月一五日限り金三三万三八三〇円及び毎一二月二一日限り金四三万九二五〇円を各支払え。

3  被告は原告千馬に対し、金一四九万九四八〇円、及び昭和六〇年二月以降毎月二一日限り金一四万九九四八円、並びに同五九年以降毎六月一五日限り金二〇万五二一六円及び毎一二月一五日限り金二七万〇〇二〇円を各支払え。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告は尚絅高等学校(以下「本件高校」という。)を経営する学校法人である。

2  本件雇用契約

(一) 原告城は、昭和五四年四月一日、本件高校の国語担当の教諭として被告に雇用された。

(二) 原告永目は、昭和五六年四月、本件高校の保健体育担当の講師として被告に雇用された。

(三) 原告千馬は、昭和五七年四月、本件高校の英語担当の講師として被告に雇用された。

3  しかるに、被告は、原告城に対し昭和五八年一一月二四日解雇の通知を行ったほか、原告永目及び同千馬に対し昭和五九年三月二六日雇用契約の更新拒絶の意思表示を行い、原告らが本件雇用契約上の地位にあることを争っている。

4  原告らの給与は以下のとおりである。

(一) 賃金(毎月二一日支給)

(1) 原告城 月額二八万二一三六円

(2) 原告永目 月額二〇万五三二七円

(3) 原告千馬 月額一四万九九四八円

(二) 賞与

夏期 賃金の一・九か月分(毎年六月一五日支給)

冬期 賃金の二・五か月分(毎年一二月二一日支給)

(三) 年度末手当 賃金の半額(毎年三月一五日支給)

5  よって、原告らは、本件雇用契約に基づき、請求の趣旨記載の判決を求める。

二  請求原因に対する認否

全部認める。

三  抗弁

1  被告は原告城に対し、昭和五八年一一月二四日、本件雇用契約についての解約申入れの意思表示(以下「本件解雇」という。)を行った。

2  原告永目及び同千馬の雇用期間はいずれも一年未満であり、雇用期間満了後改めて一年未満の雇用期間を改めて再契約を行ってきたものであるところ、昭和五八年度における雇用期間は、原告永目は昭和五八年四月九日から同五九年三月二六日までであり、同千馬は昭和五八年四月六日から同五九年三月二六日までであったので、右期日の経過により、原告らは当然に本件雇用契約上の地位を喪失した。

四  抗弁に対する認否

1  抗弁1は認める。

2  同2は否認する。採用辞令に雇用期間が記載されていたが、それは単なる形式上のものに過ぎない。

五  再抗弁

1  抗弁1に対し

被告学園の就業規則(以下「本件就業規則」という。)は解雇理由を制限しているので、解雇の意思表示のみではその効力は生じない。

2  同2に対し

(一) 本件雇用契約のうち原告永目及び同千馬に関する期間の定めは以下の理由により無効である。

(1) 本件就業規則において雇用期間の定めのあるのは実習助手及び非常勤講師についてのみであり、その他の職員については本件就業規則上雇用期間の定めはない。そうすると、雇用期間の定めは就業規則の絶対的記載事項であるから、実習助手又は非常勤講師以外の職員については本件就業規則上雇用期間の定めはないものとされていることとなり、それらにつき個別の雇用契約で期間を定めても、それは本件就業規則に違反するものとして労働基準法九三条により無効である。そして、原告永目及び同千馬は本件就業規則上は常時勤務する教員であって、非常勤講師又は実習助手以外の職員であるから、本件雇用契約のうち同人らの雇用期間を定めた部分は無効とされるべきである。

(2) 元来、労働契約において短期の雇用期間を定めることは、労働者の生存権を脅かすものであるところ、原告らのように教育に携わる労働者においては、労働条件の確保だけでなく、教育条件の確保という見地からも、短期雇用制度の弊害は明らかである。しかも、原告永目及び同千馬は、講師とはいえ、本件就業規則上の常時勤務する教員(常勤講師)であり、非常勤講師とは異なり、期間の定めのない雇用契約を締結している教諭と実質的に同等の職務を行っているのであって、かような原告らについて雇用期間を設けることは、合理的な理由なく教諭と差別するものである。したがって、原告らについての雇用期間の定めは公序良俗に反し、無効と言うべきである。

(二) 原告永目及び同千馬に関する本件雇用契約は、以下の事情により、原告らに更新の期待があるものと言うべく、本件雇用契約は期間の定めのないものと実質的に異ならない状態で存続している。

(1) 原告永目につき

ア 原告永目は、昭和五六年四月に被告に雇用された後、同五七年度、同五八年度の二度にわたって本件雇用契約の更新を行った。

イ 同原告は、クラス担任、生徒課校外主任、校外団体における本件高校の校内委員、テニス部顧問等を勤めるなど、その職務は教諭と異ならない。

ウ 同原告は、昭和五六年九月ころ、翌年の処遇について、被告代表者である訴外内藤宏(以下「内藤理事長」という。)から教諭の身分を約束された。

エ 同原告は、昭和五七年一〇月ころ、年度の途中で次年度以降の雇用が既に決定されそれが生徒の父兄や教職員に告知された。

(2) 原告千馬につき

ア 原告千馬は、昭和五七年四月に被告に雇用された後、同五八年度に本件雇用契約の更新を行った。

イ 同原告は、クラス担任、生徒課校外係、漫画研究部顧問、英語科一年生の責任者、教育実習指導教師、寮での夜間の自習監督、一年生の英語の進学課外授業等を勧めるなど、その職務は教諭と異ならない。

ウ 同原告は、昭和五七年四月ころ、本件高校の講師として採用されるにあたり、内藤理事長から「まじめにやれば道は開ける。しっかりやってくれ。」と言われたほか、同五八年四月ころには、教頭から「校長は今年君に担任をさせて来年は教諭にするつもりだから頑張るように。」と言われている。これらにより、同原告は本件高校における雇用の継続と教諭への昇格に対する期待をもった。

(3) 原告両名につき

原告らの身分は辞令上は三月二六日までであったが、生徒の成績を学籍簿に記入する等クラス担任としての仕事はその後も残っていた。これは、原告らの雇用期間の定めが運用の面でも形式的なものに過ぎないことの証左である。

(三) 以上のとおり、原告永目及び同千馬の本件雇用契約は期間の定めのないものであるか、又はそれと実質的に異ならないものであるから、被告が行った前記更新拒絶(雇止め)の意思表示(以下「本件雇止め」という。)は本件雇用契約の解約申入れ(解雇)の意思表示にほかならない。そして、本件就業規則上解雇理由は制限されているから、本件雇止めによって直ちに原告らの本件雇用契約上の地位が消滅することはない。

(四) 仮に、原告永目及び同千馬の本件雇用契約が期間満了により消滅するとしても、本件雇止め(更新拒絶)に正当理由がない限り、本件雇用契約は当然更新されたと見るべきであり、少なくとも、以下の事情により、本件雇止めは権利濫用として無効と言うべきである。すなわち、被告が原告城を解雇するにあたり、原告城の本件高校内での影響力を極力排除するため、短期の雇用契約があることを濫用し、原告城を支援する立場にあった原告永目及び同千馬について本件雇止めを行ったに過ぎないものである。

六  再抗弁に対する認否

1  再抗弁1は明らかに争わない。

2  同2(一)について(1)のうち本件就業規則において実習助手及び非常勤講師についてのみ雇用期間の定めがあることは認め、その余は争う。(2)は争う。

3  同2(二)のうち(1)ア及び(2)アは認め、その余は否認する。

4  同2(三)のうち、被告の就業規則が解雇理由を制限していることは明らかに争わないが、その余は争う。

5  同2(四)のうち、雇止めに正当理由が必要だとの主張は争い、本件雇止めが原告ら主張の動機に基づくとの点は否認する。仮に雇止めに正当理由が必要だとの立場をとるとしても、本件雇止めのなされた昭和五九年度は入学者の数が定員四〇〇名に対し僅かに二八八名しかなく、実に一一二名の定員割れをきたしているのであって、本件雇止めには正当理由があり、権利濫用ともなりえない。

七  再々抗弁(再抗弁1に対し)

原告城には、以下に掲げるような行為があり、これらはいずれも本件就業規則における解雇理由に該当する。

1  訴外片岡フジ子(以下「片岡」という。)に対する暴言

昭和五四年の秋ころ、本件高校を訪れた片岡が校門を通過する際の手続について苦情を述べているところに来あわせた原告城は、立腹のうえ、同女との言葉のやりとりの中で「ぬしゃ誰か。どこの馬の骨とも分からん者が何ば言いよっとか。」と怒鳴りつけ、甚だしく同女の体面及び人格を傷つけた。このような言葉は、感情を抑制できない粗野な品性からしか出てこないものである。

2  訴外山本由紀子(以下「山本」という。)の件

昭和五五年ころの日曜日に、原告城は、本件高校の生徒である山本から請われるまま、同女と共に菊池渓谷にドライブに行ったものであるが、同女は性的関心が異常に強く、過去に同原告との肉体関係の有無まで問題となったのであり、かような行為は、仮に生徒指導のためであったとしても甚だ軽率かつ不謹慎なものである。

3  原告城の暴力的習性

昭和五六年六月ころ、当時本件高校に在学中の訴外井野乃里江(以下「井野」という。)に対する生徒指導上の問題を調査中に、担任の教諭が同女を殴打したところ、原告城は今度は俺が打つと称して井野を別室に連れてゆき、十数回にわたって同女の顔面を殴打した。また、同原告は、生徒朝礼の時に一四、五名の生徒を壇上に並べて往復ビンタをしたり、生徒課での調査の際に「歯を食いしばれ」と言いながら何度も殴打するようなことがあるほか、修学旅行出発の前日であった昭和五五年三月一〇日、体育館で学年主任の注意がなされている最中に私語を行っていた生徒がいたことに対し、二百数十名の生徒に対して往復ビンタを加えたり、昭和五七年九月三〇日、無許可のアルバイトをした生徒に対し、顔を赤く腫れ上がるほど強打するなどしている。これらは、原告城に暴力的習性があり、教育者としてふさわしくないことの証左である。

4  カルメン上演の件

昭和五八年三月ころ、訴外熊本音楽短期大学(以下「音楽短大」という。)から、カルメン上演のリハーサルを本件高校の生徒に無料で観劇させたいとの申出があったところ、内藤理事長は、リハーサルが本番どおりに行われる手筈になっていることやカルメンの上演には普通二〇〇万円くらいはかかるとの音楽担当教諭の発言を参考に、謝礼として二〇〇万円を支払うことにしていたが、それを聞き及んだ原告城は、当日の上演がやり直しの連続で本番とはほど遠い状態になるや、観劇の途中で副校長に対し、内藤理事長に首を洗って待つよう伝えてくれなどと暴言をはいた。

5  熊本日中交流協会の件

昭和五八年四月二六日、中国人を父とし、日本人を母とする訴外野田直子(以下「野田」という。)の母親から、熊本日中交流協会主催の「大極拳の翼」という企画に野田を参加させ、祖国中国を子供に見せたいとの希望により、同年四月二八日から同年同月三〇日までの旅行許可願が提出されたところ、原告城は、「日中交流協会などは俺は知らん。」とか「学校は日中交流協会とは関係ないので休暇請求には反対である。それでも行きたいのなら学校の趣旨に反するから学校をやめて他校に行くべきだ。」などと言い、「それは学校長の意見ですか。」との野田の母親の問いにも、学校長も同意見だと答えた。その後、右原告の発言は熊本日中交流協会を蔑視したものとして、同協会内で問題として取り上げられた。かように、原告城は、最終的には校長の許可事項であるにもかかわらず独断専行の越権行為をなしたものであるほか、いわずもがなの発言により対外的なトラブルを引き起こしたのである。

6  内藤理事長に対する暴言

昭和五八年一〇月二七日、原告城は、内藤理事長らが打合せ中の校長室に入ってきて、内藤理事長に対し、かねて自己が依頼していた事柄につき副校長から報告を受けていたのに受けていないと嘘をついたなどと声高に詰問を始めた。これに対し、内藤理事長は、居合わせた副校長らに対して報告の有無を確認し、報告を受けていなかったとの前言は誤りであったと答えたにもかかわらず、原告城はおさまらず、嘘をついたことを謝れと執拗に謝罪を要求した。この無礼な態度に、内藤理事長も、原告城がかつて虚偽の報告をしたことを挙げて同人の態度をたしなめた。すると、原告城は、今度は同年一〇月二四日付熊本日日新聞に掲載された「九州人国記」の内藤理事長に関する記事に矛先を転じ、「助教授とあるが、柔道の助教授ではないか。ただ助教授とだけ書けば世間では学者と間違えるではないか。直ちに記事の訂正を新聞社に申し入れろ。」と迫り、更に、「世界の哺乳瓶を集めていると言っているが、世界に国が幾つあるか知っているか。たかだか二〇本くらい集めたからといって大きなことを言うな。」と言い、果ては、「打ち食らわすぞ。」とまで言語道断の暴言をはいた。これに対し、内藤理事長が、「殴りたいくらいのなら殴れ。それほど信頼できない校長のもとに勤める必要はないではないか。やめたらどうか。」と言うと、原告城は、「おお、やめてやる。だがただではやめぬ。会計の不正をばらして校長も巻き添えにしてやる。」と捨てぜりふを残して荒々しく退室した。

その後、原告城の措置について被告が懲戒委員会を開いたことを知るや、内藤理事長に対し、「やめさせるなら早くやめさせろ。」「何もしきらん。泥棒猫のごつこそこそするな。」「生徒に対する影響力は校長より自分のほうがはるかに強か。」とか、挙げ句の果てに校長がこれをたしなめようとすると、「がたがたとぼけたことを言うな。」などと、暴力団も顔負けするような暴言をはいたのである。

7  体育予算超過支出の件

昭和五八年一一月に開催された本件高校の体育祭において予算の超過支出があり、その際、会計事務担当の職員がその原因を会計担当教諭に照会したところ、体育祭予算については何の関係もない原告城が会計課に来て、「副校長、教頭が印をしているのに会計が何で文句を言うか。」と荒々しい口調で右職員を怒鳴りつけ、同人を困惑させた。かような行為は、被告学園の秩序を乱し、円満な運営を阻害するも甚だしいものと言わねばならない。

8  職場秩序維持に反する行為

以上の事実以外にも、原告城には、同僚及び上司に対して、相手の人格やプライドを無視した暴言を浴びせたり、居丈高に命令を発したり、威圧的な発言をするなど、傲岸不遜な態度を示すことがたびたびあり、また、本件高校の人事に口出ししたり、他人の業務に対する干渉を行ったりするなどの行為もあり、これらのことは、前記のもろもろの行為とともに、教育現場の秩序維持、校務の適正な運営の確保、学園又は同僚への悪影響の排除の点から、絶対に見過ごすことのできないものであり、しかも、それが容易に矯正できない原告城の持続的素質・性格に起因することも明らかで、このような原告城を職場に戻すことは、教育現場を混乱に陥れることとなる。

八  再々抗弁に対する認否

全部否認する。

九  再々々抗弁

1  本件解雇手続きの重大な瑕疵

本件解雇手続について、懲戒委員会による適法な審議はなされておらず、仮になされていたとしても、原告城に何らの反論及び弁明の機会は与えられていなかったから、本件解雇はその手続に重大な瑕疵があり無効である。

2  本件解雇の真の狙い

本件解雇の真の狙いは、内藤理事長に対する原告城の不正追及を阻止することにあったものである。ちなみに、原告城が内藤理事長に抗議し、是正を進言してきた主な事柄は以下のとおりである。

(一) 原告城は、昭和五七年四月に生徒課長になってから、内藤理事長が被告学園の備品を長年にわたって私的に流用したり、内縁の妻に保険証を不正に使用させていたことに対し、同人に抗議し是正を進言してきた。

(二) 昭和五七年の夏ころ、内藤理事長は自己のマンションを建築したが、その際、右マンション前の道路を拡幅するにあたり、被告学園のブロック塀及び体育館の一部を取り壊してまでも被告学園の敷地を右道路として提供したため、原告城は抗議し改めさせようとした。

(三) 被告学園の寮には、昭和五七年当時一六八名もの学生及び生徒が寄宿していたのに、その指導、監督を行う寮母の数が不足しており、生徒間に非行問題が生じていたので、原告城が生徒課長として寮母の増員を内藤理事長に依頼したところ、一旦は増員があったものの、後日内藤理事長が従前の人員でまかなえるとの理由で右増員となった寮母を解雇したため、昭和五七年一〇月ころ原告城は、「寮生の親に実態を知らせますよ。」と言って内藤理事長に抗議した。

(四) 昭和五八年三月ころ、音楽短大からカルメン上演のリハーサルを被告学園の生徒に見せたいとの申入れがあったところ、音楽短大からは、無料で観劇してよいとのことであったのに、内藤理事長は謝礼として被告学園の会計から二〇〇万円を支出させようとしたので、原告城は職員会議の席上で追及した。

これらの問題について、被告学園において内藤理事長に抗議したり是正の進言をしたりするものは原告城以外に誰もいなかったのである。ところが、内藤理事長は、これ以上原告から自己の不正を追及されるのを恐れ、不正問題の追及をされたことを背後に隠し、専ら原告城の言葉遣いや態度を前面に押し出して、原告城があたかも教師不適格者であるかのように喧伝し、本件解雇を行ったものであり、解雇権の濫用として無効とされるべきである。

一〇  再々々抗弁に対する認否

全部否認する。

第三証拠(略)

理由

第一原告城の請求について

一  請求原因1(被告の地位)、同2(一)(原告城についての本件雇用契約の成立)は当事者間に争いがない。

二  抗弁1(本件解雇の意思表示)は当事者間に争いがない。

三  再抗弁1(本件就業規則が解雇理由を限定していること)は被告において明らかに争わないからこれを自白したものとみなすべきところ、就業規則において解雇理由が限定されている場合、使用者の解雇の自由は制約され、被解雇者に当該解雇理由に該当する事実がなければ使用者は解雇をなしえないと解すべきである。

四  そこで、再々抗弁(原告城の解雇理由)について検討する。

1  (証拠略)によれば、本件就業規則第二〇条には、解雇理由として以下のようなものが規定されていることが認められる。

(一) 勤務成績が著しく劣悪なとき(1号)。

(二) 心身の故障により職務の遂行に堪えないとき(2号)

(三) 前2号に規定する場合のほか、その職に必要な適格性を欠く場合(3号)。

(四) 試用期間中の者であって正式採用されないとき(4号)。

(五) 本学園のやむを得ない業務上の都合が生じたとき(5号)。

2  そこで、原告城に前記解雇理由に該当する事実があるか否か検討するのに、(証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

(一) 原告城の雇用から解雇に至る経緯

(1) 原告城は、本件高校に勤務する以前は熊本中央女子高等学校の教諭であったが、かねてから他の高校への転職を希望しており、大東文化大学の先輩で旧知の間柄であった訴外中村仲七(以下「中村」という。)を通じ、昭和五一年ころから同じく大学の先輩に当る内藤理事長に本件高校への就職を依頼していたところ、同五三年一二月に原告城が熊本日日新聞主催の書道展でグランプリを受賞したことをきっかけとして、中村が重ねて内藤理事長に原告城の就職を依頼した結果、同五四年四月から本件高校の教諭として雇用されたものである。

(2) 原告城は、本件高校に就職後、国語科の教諭として昭和五四年度及び同五五年度は国語及び書道の授業を、同五六年度以降は国語の授業を担当したほか、同五四年度から同五六年度まで生徒指導係を担当し、同五七年度からは生徒課長及び運営委員会委員に就任している。

(3) 原告城は、本件高校に雇用された後、前記のように比較的早い時期に役職に就任したほか、後記のように、自ら校務分掌案を作成してみたり、職員朝礼の席上他の教職員らに対して訓令のような発言をしてみたり、現在教頭の職にある訴外木野是彦(以下「木野」という。)に対して教頭への就任を要請したり、ある教員の退職が自分の内藤理事長に対する進言により延期されたとの話を他の教員らに行ったりするなど、他の教職員らにおいて、原告城が内藤理事長から特別の扱いを受けているものと思われるような言動を取っていた。ところが、原告城は、次第に内藤理事長に対して反抗的な態度をとるようになり、昭和五八年ころ、数学担当の講師が教諭に昇格するにつき、原告城が右人事は自分の進言で行われたものであると話しているとの噂が流れたため、内藤理事長は当該教諭に対し、原告城の尽力で教諭になれたものでないこと、これからは原告城の発言は取り上げないことにする旨申し入れたことがあったが、それ以来、原告城の同理事長に対する反抗的態度は顕著になった。

(4) そして、原告城が後記のように内藤理事長に対する暴言を行ったことを直接の動機として、同理事長は昭和五八年一一月一一日原告城の処分に関する懲戒委員会を開催した。その際、内藤理事長は、原告城が言葉遣いが悪く、また挙動も粗暴であるとして、片岡に対する暴言、山本の件、井野に対する暴行の件、熊本日中交流協会に対する侮辱の件、校長に対する暴言、会計係に対する暴言と題する事例を参考資料として各委員に交付し、自らもその説明を行い、原告城の処分に関する意見を諮問した。懲戒委員会の結論は全員一致で原告城の懲戒解雇を相当としたが、その解雇の方法と時期は理事長に一任するとの決議がなされた。そこで内藤理事長は、原告城の将来のことを考え、又原告城の就職を斡旋した中村への配慮もあって、懲戒解雇でなく普通解雇を選択することとして同月二四日付でその旨の辞令を発布した。

(二) 原告城の解雇理由

(1) 再々抗弁1(片岡に対する暴言)について

昭和五四年の秋ころ、かつて本件高校の教師であった片岡は、本件高校に来校した際、校門を通過しようとして守衛に注意され所定の手続をとらされたが、同女が勤務していたころは守衛がおらず自由に入校することができていたことから、かつての同僚達に対し、来校手続についての不満を述べていたところ、丁度居合わせた原告城がそれを聞き咎めたことから、両者で口論となり、その際、原告城は片岡に対し、「どこの馬の骨とも分からぬ奴」という乱暴な言葉を浴びせかけた。この件については、原告城の暴言に激昂した片岡が内藤理事長に対し電話で抗議をしたほか、陳謝のために訪れた内藤理事長に対し片岡の夫が、原告城の解雇を要求し、さもなくば名誉毀損で告訴するとの意思を明らかにするなどの事態となったが、内藤理事長の謝罪により事なきを得た。

(2) 同2(山本の件)について

昭和五四年の新学期が始まって間もないある日曜日に、原告城は、当時担任を受け持ったクラスの生徒であった山本から、「これからパトロンと別れてくる。」などと電話で言われたため、同女が性的関心を強く示している生徒であったことでもあり、早速同女に会い事情を聞くということがあったが、その際、原告城は、山本から請われるまま、同女を自動車に同乗させてドライブに連れていった。ところが、その後山本が、原告城と肉体関係を持ったということを他の教師に訴えるという事件が持ち上がったため、原告城は内藤理事長に対し、前記のような事情を説明した。山本に関しては、それ以外にも、家出や級友から妊娠中絶のカンパを名目にした借金を行うなど、問題の多い生徒であったため、同年九月二〇日原告城と当時の生徒課長であった訴外前田賢治(以下「前田」という。)が山本方を訪問して同女の訴えについて質した後、内藤理事長も山本の両親から家出の件で処分を受けても構わない旨の約束を取りつけたうえで、同年同月二八日開催の臨時職員会議により、山本に対して二〇日間の自宅謹慎を命ずる旨の措置がとられた。なお、右職員会議の席上、原告城の肉体関係についての山本の訴えについても、それが虚偽であるかどうか明確にしたうえ処分をすべきであるとの意見が出されたが、前田から家出と私服外出の件に限定して処分したらどうかとの提案がなされ、結局、処分については家出のみを理由とすることに落ち着いたものである。

(3) 同3(原告城の暴力的習性)について

井野については、同女が男性の部屋やスナックなどで男性と一緒にいるところを写した写真のネガを所持していたこと等から、昭和五六年六月二五日開催の臨時職員会議で退学処分とされたが、その件についての調査中であった同月一七日、担任の教諭が井野を殴打したところ、その場所に居合わせた原告城が右担任から引き継ぐようにして井野を繰り返し殴打した。この件に関しては、同年七月九日付で井野の父親から抗議の内容証明郵便が届いたほか、同月一〇日に井野の伯父が本件高校を訪れ、原告城の暴行の事実の確認と退学処分の撤回を求めるという事態になった。これに対し、内藤理事長は退学処分の撤回には応じなかったものの、井野の転校を斡旋するということで解決を見た。

原告城には、それ以外にも、昭和五五年三月一〇日に行われた高校一年生の生徒に対する修学旅行出発前の説明会の際、私語を交わしていた相当数の生徒に往復ビンタを加えたことがあるほか、朝礼や生徒指導の際にも「歯を食いしばれ。」などと言って生徒の頬を殴打することが幾度となく見られた。

(4) 同4(カルメン上演の件)について

昭和五八年三月ころ、音楽短大から、カルメン上演のリハーサルを本件高校の生徒に無料で観劇させてはどうかとの申入れがあったが、内藤理事長は、リハーサルであるが本番どおりに行われるとの音楽短大側の説明を受け、音楽担当教諭に相談し、運営委員会にも諮ったうえで、右申入れを受けることとし、謝礼として二〇〇万円位の金額を予定していた。ところが、原告城は、音楽担当の教諭から右観劇会のことを聞き及び、その後も運営委員会等の席上で、リハーサルが本番どおりに行われるものであるかどうか何度も質したが、それに対して、内藤理事長は、音楽短大に確認のうえ間違いない旨回答していた。しかるに、当日のリハーサルは、指揮者の意に沿わない出来ばえであって、何度も中断してはやり直しの連続で、本番とはほど遠い状態になってしまったため、後日の職員会議で原告城がこの問題を取上げたことをきっかけとして、音楽短大に支払われる謝礼金は五〇万円になったという経緯があった。ところが、原告城は、リハーサル当日観劇の途中で副校長に対し、内藤理事長に首を洗って待っておくよう伝えてくれなどと暴言を吐いたのである。

(5) 同5(熊本日中交流協会の件)について

昭和五八年四月一九日ころ、中国人を実父とし日本人を母とする野田の母親から、熊本日中交流協会が主催し、参加者に対し同月二八日から同年五月二日まで中国各地を周遊しつつ太極拳の講習を受けさせることを内容とする「太極拳の翼」と題する企画に野田を参加させるべく、同月二八日から同月三〇日までの間の休暇の許可願が提出されたところ、野田の担任教師から右許可願の件の処理を依頼された原告城は、野田の母親に対し、「学校としては日中交流協会など関係ないし、休暇申請には反対である。それでも休ませて行かせるなら、学校の趣旨に反するので他の学校を選択すべきである。」などと言い、それについては学校長も同意見かとの野田の母親の問いに対しては、担任教師とともに、そのとおりである旨答えた。その後、原告城の発言は日中交流協会の知るところとなり、同協会事務局長が、直接内藤理事長に会見し、前記企画の趣旨などを説明するなどして内藤理事長から野田の休暇願の許可を取りつけたという経緯があった。なお、昭和五七年度版の本件高校の生徒心得によれば、生徒の海外旅行については、担任に届けるだけでなく、学校の許可を受けて行うことができるとされているが、内藤理事長が従来生徒の海外旅行を原則的に認めない方針であると教員の間では理解されていたため、野田に関しても原告城は特に内藤理事長の意向を聞く必要もないと判断し、自らの一存で許可しない旨を申し渡したものである。

(6) 同6(内藤理事長に対する暴言)について

昭和五八年一〇月下旬ころ、かねてより本件高校の生徒の補導に尽力していた婦人警官が警察庁長官表彰を受けるということがあり、原告城は、内藤理事長の名前で祝電を打ちたいと考えていたが、たまたま内藤理事長が不在であったため、副校長にその旨を依頼した。しかるに副校長は、教頭と協議のうえ、内藤理事長に要望は伝えるが直ちに打電することは控えると回答した。後日、原告城は内藤理事長に対し、副校長から祝電の件の報告を受けているかどうか尋ねたが、報告は受けていないと答えたため、更に副校長に確認すると、やはり報告は行っていると聞かされた。かような経緯のなか、同月二七日の職員朝礼終了後、校長室で内藤理事長、副校長、教頭が当日の打合せを行っている最中に原告城が入室し、内藤理事長に対し、祝電の件で副校長から報告を受けているのにそうでないと嘘を言ったなどと詰問を始めた。内藤理事長は、副校長と教頭に対して報告の有無を確認し、同人らが確かに報告した旨答えたため、原告城に対し、副校長らがそういうなら間違いないであろう、報告を受けていないというのは誤りであったと前言を訂正した。しかし、原告城はそれだけでは収まらず、内藤理事長に対し、嘘をついたことを謝るよう執拗に要求した。そこで内藤理事長は、以前、本件高校の同窓会から生徒にカーディガンの着用を認めたうえで、その販売を同窓会に任せてほしい旨申入れがあったと原告城が報告してきたところ、実際には右同窓会からそのような申入れはなかったとの調査結果を得たことがあったため、反論のためその件を持ち出して原告城を非難した。これに対し、原告城は、内藤理事長のことを紹介した熊本日日新聞の囲み記事「九州人国記」に言及し、右記事の中で内藤理事長が母校の大東文化大学の助教授をしていたと書かれていることについて、「助教授といっても柔道の助教授にすぎないではないか。助教授と言えば学者と受け取れる。新聞社に訂正を申入れよ。」などという趣旨のことを言い、更に、右記事のなかに内藤理事長が世界中の哺乳瓶を集めていることが触れられていることについて、「世界中の哺乳瓶を集めているというが何か国から集めているのか。」と聞き、同理事長が一〇か国位であると答えると、「世界に国が何か国あるか知っているか。たった一二、三本集めて世界中と言えるか。学者風なことを言うな。」などと言った。なお、「九州人国記」の記事は同月二四日付の熊本日日新聞に掲載されたものであるが、原告城はその記事を見咎め、予め大東文化大学に内藤理事長の経歴を照会し、他の教師に同理事長の哺乳瓶の蒐集状況を確認するなどしていたものである。

原告城はそれだけにとどまらず、内藤理事長に対し、同人を殴打したい気持ちを持っていると言明するまでに至った。ことここに至り、内藤理事長は「殴りたいのなら殴れ。それほど信頼できない校長のもとに勤める必要はないではないか。やめたらどうか。」などと言ったが、それに対し原告城は「やめてやる。だがただではやめぬ。会計の不正をばらして校長を巻き添えにしてやる。」などと言って校長室を出ていった。

内藤理事長は、原告城の前記のような言動に対して、同人を懲戒処分に付することを決意し、同年一一月一一日に懲戒委員会を招集し、懲戒解雇相当の諮問を受けたものの、原告城を内藤理事長に紹介した中村に事態を報告したところ、同人が原告城を説得して自主的に退職させると言うので、それまでは処分を保留にすることとしていた。しかし、その間、中村の斡旋を受けた原告城は、内藤理事長に対し、「やめさせるなら早くやめさせろ。」「泥棒猫のようなことをするな。」「生徒に対する影響力は校長より自分の方がはるかに強い。」「がたがたとぼけたことを言うな。」などと暴言を繰り返した。そこで、内藤理事長は、かように原告城本人に退職の意思がないことから、結局本件解雇に及んだものである。

(7) 同7(体育予算超過支出の件)について

昭和五八年一一月開催された体育祭の決算において予算超過があったが、生徒会係で体育祭の会計を担当していた教諭の訴外隅川緑(以下「隅川」という。)は、支出を担当した教師から説明を聞いた上で、自分限りで処理しようとしたところ、事務局の会計職員からそのような処理はできないと言われたため、それが従来の会計慣行と異なるやり方と考えた隅川が生徒課長であった原告城に相談したところ、原告城は今までどうりの処理でよいはずだと言って事務局に抗議に行った。

(8) 同8(職場の秩序維持に反する行為等)について

ア 同僚に対する傲岸不遜な態度

昭和五八年四月ころ、原告城は、多忙のため、自分が顧問をしているフォークソング部の顧問就任を既に新聞部顧問を引き受けていた新任教師に依頼することとし、当時の新聞部顧問であった数学担当教諭の訴外長迫究(以下「長迫」という。)に対し、その旨の了解を求めた。原告城の申入れを受けた長迫は原告城に対しては右新任教師の自由意思に任せると答え、同教師に対しても、事情を説明のうえ、本心を率直に述べればよい旨伝えておいた。ところが、原告は翌日長迫を自室に呼びつけ、事前の了解に反して前記新任教師に顧問の就任を断るよう仕向けたとして、右新任教師の面前で長迫を繰り返し面罵した。

昭和五八年七月中旬の運営委員会の席上、原告城が二年前の特別課外授業が一一月で中止されたことを非難する発言を行ったところ、それに対し、進路課長であった訴外内東栄子教諭(以下「内東」という。)が委員会終了後当時の日誌を確認して原告城に反論するということがあったが、その際、原告城は、反論のために日誌を持ってやって来た内東に対し、同人の所作が悪いといって非難したり、別の機会に、「嘘つきよばわりをした。謝れ。」とか「雑魚には分からん。」とか「進路課長はやめたらどうか。」などと暴言を吐いた。

イ 他人の業務への介入

昭和五八年一〇月ころ、原告城は、本件高校の寮を午後一〇時ころに巡回し、生徒に注意を行ったり、暖房の効きが悪いなどと言い、責任者である寮の舎監らを困惑させた。

ウ 人事への口出し等

昭和五八年ころ、数学の講師が教諭に昇格した際、原告城が自分が内藤理事長に進言して昇進させたものであると吹聴しているという話があり、これを耳にした内藤理事長は右教諭を呼び、原告城の口添えで教諭になったのではないことを告げた。また、原告城は、定年で退職予定の教諭について、自分が内藤理事長に進言して一年間退職を猶予してやったと言う話を他の教師にしたため、それを聞き及んだ本人が事実かどうか問い合わせてきたということがあった。さらに、原告城は、木野に対して教頭になるよう依頼し、同人が実際に教頭になった後は自分の尽力でそうなったということを他の教師に話しており、更に、本件解雇後のことではあるが、木野本人に対し、他の教師の面前で「誰のおかげでお前は教頭になっているか。」とか「首にしてやる。」とか「首を洗って待っておけ。」などという暴言を吐いている。その他、原告城が本件高校の人事に口出ししていることを示すものとしては、本来その地位にない原告城が他の教諭とともに本件高校の校務分掌案を作成したということがあった。

エ 職員朝礼や運営委員会での僣越発言

昭和五八年一〇月二六日の運営委員会は特に議題がなく、内藤理事長も不在であったため、副校長・教頭とも連絡をとり、中止となったにもかかわらず、原告城は直接副校長に働きかけて運営委員会を招集させた。そして、原告城はその席上、副校長・教頭に対して、「職務を全うしてほしい。」などと批判がましい発言をしたうえ、「自分が副校長・教頭の立場だったらもっと学校を良くしてみせる。校長に私を教頭にと具申してみないか。あと五か月で立派にしてみせる。」などと僣越な発言をした。

また、原告城は、生徒朝礼や職員朝礼の際、以下に挙げるような僣越非礼な発言を頻繁に行っている。〈1〉江津湖の集団清掃が行われることになっていたのに対して本件高校では事故の発生を恐れて参加しない方針を持っていたのに反し、原告城個人の責任で生徒を連れてゆくとの発言を行った。〈2〉生徒朝礼における訓話の中で内藤理事長が「花嫁」「花婿」の英語を辞書で調べてくるようにと言ったその直後に、原告城は生徒に対し「日本人は日本語を大切に。」と言って「水無月」という言葉の解説を始めるなど、内藤理事長の訓話に対する面当て批判とも受け取れる発言をした。〈3〉クラス文集に学校の備品を使えないというならまず上から姿勢を正すべきであるとか、職員の身分異動について連帯感を持つべきであるなどと、およそ職員朝礼に相応しくない上部批判を行った。〈4〉防火訓練の際の職員の真剣さが足りないとか、生徒の鞄が空になっていることがあるので担任による繰り返しの指導を要望するとか、試験後の開放感は非行を招きやすいから職員の注意を促すとか、登下校時に教師間で挨拶をしない職員がいるなどと、同僚職員に対して訓令するかのような発言をした。〈5〉試験中は登下校時に週番は門に立たないということが従前より決定していたのに、原告城はそれに反対して生徒が服務するよう方針変更すべきだと元来職員朝礼では決定できない問題を提起し、しかも意見のあるものは直接自分に申し出るようにと、手続無視の発言をした。〈6〉従来の制度を変更するよう問題提起する中で、「うるさい校長も皆で言えば変わるはずである。」などと内藤理事長を軽視する姿勢を誇示するかのような発言を行った。〈7〉熊本大学の外国人教師の講演会の開催に関し、「担任は電話を架けて父兄に呼び掛けたか。しなかった担任は担任としてどうかと思う。」などと担任の適格性を暗に批判するような発言をした。〈8〉被告学園では短大と高校が一つの体育館を使用しているところ、内藤理事長が誤って高校の使用日に短大に使用許可を与えたため高校の使用ができなかったということがあったが、原告城はそのことを捉え、職員朝礼で内藤理事長を執拗に非難し、遂に教頭が原告城の発言を中止するという事態になった。

3(一)  以上認定の事実を前提にして検討するのに、まず、前記2(二)(6)(内藤理事長に対する暴言の件)は、些細な事柄を取り上げて、本件高校の長である内藤理事長に対して執拗かつ非常識極まりない誹謗中傷を浴びせたばかりか、同理事長の経歴等を事前に調べておいて攻撃材料にするなど、組織の一員の行動としては異常としか言いようがなく、到底許されないものであると言うほかない。ほかにも、原告城は、「内藤理事長に首を洗って待つよう伝えるように。」などと言語道断の発言をしたり(前記2(二)(4))、内藤理事長をことさら軽視するような態度を示したり(同(8)エ)しているが、これらは、原告城の組織無視の傾向の顕著な表れと言うべきである。しかも、かような傾向は、内藤理事長に対してだけでなく、他の職員に対しても見られるのであり、同僚に対する暴言(同(8)ア)、他人の業務に対する口出し(同イ)、人事についての言動(同ウ)、他の職員に対する訓令まがいの言動(同エ)などがその徴表たるものであることは明らかである。また、原告城の言動のいくつかに組織の決定事項や手続を無視するようなもののあることも前記のとおりである(同(7)、同(8)エ)。およそ組織体の秩序維持のためには、執行部や同僚に対する批判は組織のルールに従って行われるべきであり、それに反する言動は、いかに当人が主観的には正義の言動であると思っていても到底許されるべきものではなく、このことは学校教育を行う組織においても当てはまる事柄であるところ、この点で、原告城の言動には、組織の秩序維持に反するものがあったことは否定できないところである。また、人事に対して影響力を有していることを誇示するなどということが、組織の秩序に反する行為であることは明らかであって、仮にそれが内藤理事長から特別な待遇を受けていた(少なくとも本人がそう感じていた)ことの結果であるとしても、組織の一員として不適格であると言うほかない。

また、原告城の言動には、教師としては相応しくない乱暴で粗野な部分があるほか、やや軽率かつ独善的なところも見受けられる。なぜなら、内藤理事長に対する暴言は勿論のこと、片岡に対する「どこの馬の骨」という発言や、内東に対する「雑魚」などという発言は、教師としての品格を疑われてもやむを得ないものであるし、また、片岡に対する暴言(同(1))、山本との件(同(2))、生徒に対する暴行(同(3))、熊本日中交流協会の件(同(5))などは、相手方にも問題がなくはないが、原告城の対応は軽率かつ一方的であり、問答無用の態度は教師としての資質を問われるものである。

(二)  かように、前記認定の事実を個々的に見れば、そのなかには原告城の職務熱心の発露と言えなくもないものもあるが、これらの事実を総合すれば、それは原告が組織の職員ないしは教師として不適格であることの微表であると見ることができ、しかも、前記認定の事実からすると、それらは容易に矯正できない原告城の持続的性格に起因するものと窺えるから、結局、それらは本件就業規則の解雇理由のうち同規則二〇条3号の「その職に必要な適格性を欠く場合。」に該当すると言うべきである。したがって、再々抗弁が認められる。

(三)  なお、再々抗弁に挙げられた事由のなかには、前記懲戒委員会における懲戒理由として挙げられたもの以外の事実も含まれているが、本件解雇は、就業規則上の普通解雇であって、右懲戒委員会で検討された原告城の個々の行為に対する懲戒責任を問うものではなく、同人の職務適格性を問題にしているのであるから、解雇理由として懲戒委員会に諮問された事由以外の事実を斟酌することも当然許されると言うべきである。

また、被告代表者尋問の結果によれば、内藤理事長に対する暴言の件以外は、その段階で、始末書を取ったり懲戒委員会にかけられたりするなど、本件高校内で正式に問題とされたものではないことが認められるが、それは原告城の職務適格性を否定する根拠とはなし難い。

五  再々々抗弁について検討する。

1  原告城は、本件解雇について、適法な懲戒委員会が開催されておらず、また同原告に弁明の機会が与えられていないなど、その手続に重大な瑕疵があり無効であると主張しているところ、(証拠略)によれば、本件就業規則上、懲戒処分は懲戒委員会の諮問を経ることが要件とされている(ただし、被懲戒者の弁明を聞くことは要件とされていない。)ことが認められるが、本件解雇は懲戒処分としてなされたものではないから、懲戒解雇に必要とされる手続を経る必要はないのであって、この点に関する原告の主張はその前提を欠き理由がない。なお、懲戒解雇でなく普通解雇としたことが、専ら懲戒解雇に必要な手続を回避する目的でなされたような場合には、権利濫用として許されないという考え方もありえようが、本件解雇に先立って一応懲戒委員会の審議を経たこと、また普通解雇にしたのは、専ら原告城に対する不利益の軽減のためであったことは前記認定のとおりであるから、この点からも本件解雇が無効となることはありえない。したがって、再々々抗弁1は理由がない。

2  次に再々々抗弁2について検討するのに、確かに、(証拠略)によれば、内藤理事長は居住していた理事長公舎が解体されたため、本学園内の特別研修施設に居住するようになり、その備品等について本件高校の備品を使用していたこと、内藤理事長所有のマンションの前面道路の拡幅のために本件高校のブロック塀及び体育館の一部が取り壊されたこと、昭和五八年ころ、生徒の非行問題を契機に寮母の増員がなされたが、まもなくその必要がないとして寮母の増員が取り消されたこと、カルメン上演に際して不手際があり、結局謝礼が減額されたこと、これらのことに対して原告城が内藤理事長に次第に激しく抗議するようになっていたことが認められる。しかしながら、原告城の主観的な認識はともかく、右抗議の対象となった内藤理事長の行為が不正なものであるとの的確な証拠は本件全証拠によっても認められない。かえって、カルメン上演の件では内藤理事長に首を洗って待っておくようにと副校長に伝言するなど原告城の方に許しがたい暴言があったことは前記認定のとおりであって、他の抗議に関してもそれは原告城の性急な正義感のあらわれというよりも内藤理事長個人に対する反感に起因するものではないかと窺われるのである。そして、本件解雇の直接の動機が原告城の内藤理事長に対する非常識な暴言にあったことは前記認定のとおりであり、右暴言自体原告城の職務適格性を否定する重大な事実であるから、この点からも、内藤理事長が自己の不正を隠蔽する等の不当な動機をもって本件解雇に及んだものとも認められない。したがって、原告城が内藤理事長に対して前記のような抗議をしたことが認められるからといって、本件解雇が不当な動機のもとになされたもので権利濫用であると言うことはできず、他にそれを義務づけうる事実を認めるに足りる証拠はない。再々々抗弁2も理由がない。

六  よって、原告城の請求は理由がないことに帰する。

第二原告永目及び同千馬の請求について

一  請求原因1(被告の地位)、同2(二)(三)(原告永目及び同千馬についての本件雇用契約の成立)は当事者間に争いがない。

二  (証拠略)によれば、以下の事実が認められる。

1  原告永目及び同千馬(以下両名を「原告両名」という。)の雇用から本件雇止めまでの経緯

(一) 原告永目について

(1) 原告永目は、昭和五六年四月に保健体育の講師として被告に雇用された後、同五七年度、同五八年度の二度にわたって本件雇用契約の更新を行ったが、同五九年三月二六日付で本件雇止めの通知を受けたものである(この事実は当事者間に争いがない。)。

(2) 原告永目は、被告に雇用されるにあたり、昭和五六年四月一〇日付で「本学園尚絅高等学校講師(保健体育)を委嘱する(雇用期間昭和五六年四月一〇日から同五七年三月二五日まで)。」との辞令を交付されたが、その後二度の更新の際にも、一旦「雇用期間満了により本職を免ずる。」との辞令を発令されたうえで、前記のような雇用期間を一年とする辞令を新たに交付されており、最終の発令における雇用期間は昭和五八年四月九日から同五九年三月二六日までとされている。

(3) 原告永目につき一回目の更新がなされるにあたっては、昭和五七年二月二六日付で被告から原告永目に対し、同年三月二五日で雇用期間が終了する旨の通知が事前になされ、その後、同年四月七日付で原告永目から被告に対し、本件雇用契約が私立高校過疎化の実情を考慮して特に期間を定めた契約であることを確認する旨の念書を差し入れており、二回目の更新にあたっても同様の念書が昭和五八年三月三一日付で作成されている。

(二) 原告千馬について

(1) 原告千馬は昭和五七年四月に英語の講師として被告に雇用され、同五八年度に本件雇用契約の更新を行った後、同五九年三月二六日付で本件雇止めの通知を受けたものである(この事実は当事者間に争いがない。)。

(2) 原告千馬は当初非常勤講師として雇用されたものであるところ、本件就業規則(そのうちの非常勤講師規程)によれば、非常勤講師は、一年間授業時間割により特定の授業を担任することを条件に採用された講師のことであり、雇用期間は毎年四月の最初の授業時から翌年三月の最終の授業の終了時までとされ、勤務時間は担当授業一単位につき一時間とされている。原告千馬は昭和五七年四月一〇日付で、同五七年四月一〇日から同五八年三月二五日までの間における授業該当時間についての時間(非常勤)講師を委嘱する旨の辞令を交付され、非常勤講師としての期間が満了した後、同五八年四月六日付で「本学園尚絅高等学校講師(英語)を委嘱する(雇用期間昭和五八年四月六日から同五九年三月二六日まで)。」との辞令を交付されている。

2  本件高校における職員の雇用状況等

(一) 本件就業規則上、本件高校の教員としては、常勤の教員と非常勤講師があるが、前者については、教諭、試用期間付講師、講師に分かれており、それぞれに異なった辞令の交付を受けている。つまり、教諭については、「本学園尚絅高等学校教諭を命ずる。」とし、雇用期間については特に明記するところがないのに対し、試用期間付講師及び講師については「本学園尚絅高等学校講師を委嘱する」とし、雇用期間についても、試用期間付講師については「試用期間一カ年間」と明記し、講師については「雇用期間」として特定の年月日を記載することとなっている。また、給与辞令に関しては、教諭及び試用期間付講師は等級号俸を明示するのに対し、講師については単に給料月額を記載するのみである。非常勤講師については、雇用期間・担当科目・一時間当たりの手当額を明示した委嘱状が交付されている。また、本件就業規則上、教諭(ないし試用期間付講師)については、原則として所定の選考に合格し、所定の手続を経た者という採用基準が特に設けられているほか、私立学校教職員共済組合に加入することができ、これらの点で講師とは異なる扱いがなされている。なお、原告両名以外の講師についても、契約期間終了の都度、原告らに対するのと同様の免職辞令及び講師委嘱辞令が交付されている。

(二) 本件高校において一年未満の期間を定めた講師を雇用している理由は、予測困難な入学者の増減に対応するためであるところ、本件高校の学生数は昭和四〇年度以降漸次減少傾向にあり、それに伴って教員の数も減少しているが、それに対し被告は、非常勤講師でなく常時勤務する講師を雇用する方針で対処してきたものである。

三  以上の事実によれば、原告両名の採用辞令に記載された期間の定めは形式的なものではなく、原告両名の本件雇用契約は一年間の期間の定めのあるものであり、いずれも昭和五九年三月二六日でその期間が満了したこと(抗弁2)が認められる。

四  原告両名は、再抗弁2(一)において、本件雇用契約における期間の定めが就業規則ないしは公序良俗に反し無効であると主張しているので、まずこれらの点につき検討する。

1  再抗弁2(一)(1)について

原告両名は本件雇用契約の期間の定めは本件就業規則に反し無効であると主張しているところ、本件就業規則の上で雇用期間の定めを設けているのは、実習助手及び非常勤講師についてのみであることは当事者間に争いがない。しかし、(証拠略)によれば、本件就業規則上、他の職員については雇用期間を特に明示していないのみであって、期間の定めのない雇用契約となる旨規定している訳でもない(却って、同規則一九条には、退職に関する規定として、「雇用期間の定めがあり、その期間が満了したとき」が挙げられており、個別の雇用契約で期間の定めの置かれることが予定されている)ことが認められるのであるから、他の職員につき当然に本件就業規則上雇用期間の定めがないものと扱うべきであるとは言えず、実習助手及び非常勤講師以外の個々の職員について雇用期間をいかにすべきかは個別の雇用契約に委ねられているものと解すべきである。

この点につき原告両名は、雇用期間の定めは就業規則の絶対的記載事項であるから、就業規則に期間を定めていない労働者については、就業規則上当然に期間の定めのない雇用契約となるものと主張している。しかし、労働基準法八九条三号は就業規則の絶対的記載事項として「退職に関する事項」を挙げているのみで、「雇用期間」を挙げていないのであるから、原告両名の主張はその前提を欠き失当である。確かに、労働基準法八九条三号の「退職に関する事項」というのは、労働者が身分を失うすべての場合を意味するものであり、期間満了による退職も当然これに含まれるものであるが、その場合も就業規則には期間満了によって労働者が身分を失うものであることを明示すればよく、更に雇用期間自体も就業規則で定めなければならないものではない。なぜなら、労働基準法が「退職に関する事項」を就業規則の絶対的記載事項としたのは、事前に労働者が身分を喪失する場合を挙げておいて、労働者が予めそれに備えることのできるようにするためであるから、雇用期間についても、その満了により退職となることを周知しておれば足りるはずだからである(同条の法意からすれば、「解雇に関する事項」をそれに含ましめることが重要となるであろう。)また、元来個々の労働者の雇用期間は、時々の企業の実情に則して決定されるべき事柄であって、それを予めすべて就業規則に規定することは不可能であると言え、「雇用期間」そのものが就業規則の絶対的記載事項とされてないことの法意もそこにあると窺れるのであるが、それを超えて、就業規則に雇用期間そのものも規定しなければならないと解するのは相当でない。

したがって、原告両名について一年間の期間を定めた本件雇用契約は本件就業規則に反するものではなく、右期間の定めが労働基準法九三条により無効となるものではないから、再抗弁2(一)(1)は理由がない。

2  再抗弁2(一)(2)について

また、原告両名は本件雇用契約の期間の定めが公序良俗に反し無効であると主張しているが、期間の定めのある雇用契約を締結することは、企業の存立維持を目的とし、収益の多寡に応じて人員を弾力的に保持するために採られた雇用契約の形態であって、やむを得ない雇用量の調節手段として是認されるものと解すべきであり、この理は、原告両名のように教育を目的とする労働者にとっても変わるところはない。したがって、本件雇用契約における期間の定めが公序良俗違反により無効であるとまでは言えず、再抗弁2(一)(2)も理由がない。

五  再抗弁2(二)について

1  次に、原告両名は、本件雇用契約は期間の定めのないものと実質的に異ならない状態で存続しており、本件雇止めは解雇の意思表示にほかならないと主張しているところ、期間の定めのある雇用契約であっても、採用および更新手続、雇止めの事例、当事者の契約締結の意思内容等の諸事情によっては、当事者に更新に対する期待が存しそれが合理的であって法的にも保護されるべき場合があり、かような場合には、当該雇用契約は実質的に期間の定めのないものと異ならない状態で存続しているものと解すべきである(したがって、かような場合には雇止めの意思表示も、原告ら主張のとおり解雇の意思表示にほかならないことになる。)ので、原告両名についてもかような意味での雇用契約の更新に対する合理的期待があったかどうかにつき検討することとする。

2  (証拠略)によれば、原告両名は、本件高校においてクラスを担任したり、生徒課の役員に就任するなど、その仕事の種類及び内容において教諭と同等の職務に従事してきたことが認められる。しかしながら、原告両名の雇用契約の更新は一回ないし二回であるに過ぎず、しかも、その都度直ちに旧契約の終了の確認と新契約の締結が行われているばかりか、原告永目については本件雇用契約が雇用量調節のための期間の定めのある契約であることを確認する旨の念書まで取っていることは前記認定のとおりであり、これに、更新に伴いその都度新たな契約が正式に締結されることは他の教職員についても同様であること、講師と教諭とでは、採用基準、給与体系、職員共済の点で異なった取扱がなされていること等前記認定の諸事情を考え併せれば、原告両名の職務が教諭のそれと同等であっても、なお、原告両名に本件雇用契約の更新につき合理的期待があり、本件雇用契約が期間の定めのないものと実質的に異ならない状態で存続しているとまでは認め難い。

なお、(証拠略)によれば、原告永目については、年度途中である昭和五七年一〇月の運営委員会において、同原告が次年度も同一クラスの担任となる旨内定されていたことが認められ、これは同原告につき更新に対する期待があったことを基礎づける事情と言えなくもない。しかしながら、(証拠略)によれば、右運営委員会における議題は、懸案となっていた本件高校における特別のクラス編成につき、それをこれからも続けるかどうかであり、その際、内藤理事長が以後三年は続ける方針を表明したのに対し、原告城が、担任であった原告永目の雇用期間終了の件をどう処理するのか質したところ、内藤理事長が人事の件を持ち出さないようにと答えているに過ぎないことが認められるのであって、結局、右運営委員会は本件高校の制度上の問題としてクラス編成につき討議したのであり、原告永目の雇用期間の問題を検討したのではないと言えるから、これをもって同原告に更新についての合理的期待があったとは認めることはできない。

また、(証拠略)によれば、原告両名は、雇用契約に定められた期間満了後も、従前担任を受け持った生徒の学籍簿の記入という職務を行っていたことが認められるが、それは雇用期間満了に伴う残務処理に過ぎないと言えるから、これをもって、原告両名の雇用期間の定めが意味のないものであるとか、原告両名に更新に対する合理的期待があったとすることはできない。

また、(証拠略)中には、内藤理事長あるいは教頭が、原告両名に対し、採用ないしは更新時において、継続的な雇用もしくは期間の定めのない教諭への登用を約束する言動を行ったとの部分があるが、前記のとおり原告永目については更新にあたり念書まで差し入れて期間の定めを確認していることでもあり、また(証拠略)中の反対趣旨の部分に照らしても、原告両名の前記供述部分はにわかに措信し難く採用せず、他に、被告側において原告両名に更新に対する合理的期待を生じさせるような言動があったものと認めるに足りる証拠はない。

六  以上の次第で、原告両名について定められた雇用期間は、それが無効であるとは言えず、しかも、それが期間の定めのないものと異ならない状態で存続しているとも言えないので、本件雇止めにつき、解雇の法埋を(類推)適用する余地はない。したがって、再抗弁2(三)は理由がない。

七  再抗弁2(四)について

更に、原告両名は、期間の定めのある雇用契約は期間の満了とともに、更新拒絶(雇止め)に正当理由のない限り更新されるべきであり、そうでなくとも、雇止めが権利濫用で無効となる場合のあることを前提として、本件雇止めには正当理由がなく、又は権利濫用である旨主張しているところ、期間の定めのある雇用契約においては、それが、実質的に期間の定めのないものと同視しうる状態で存続している場合はともかく(かような場合は期間の満了によっても直ちに雇用契約は消滅せず、雇止めの意思表示は解雇の意思表示にほかならないから、雇止めについても解雇の法理が適用になる。)、そうでない限り、期間の満了により当然に終了するものであり、雇止めというのも、単に期間満了により雇用契約が消滅したことを確認しているものに過ぎない。してみると、雇止めに正当理由を必要とするものではなく、また、そこに権利濫用という概念をいれる余地もない。したがって、その余の点につき判断するまでもなく再抗弁2(四)は理由がない。

八  したがって、原告両名の本件雇用契約上の地位は昭和五九年三月二六日をもって消滅したこととなる。

九  よって、原告両名の請求も理由がないことに帰する。

第三結論

以上の次第であるから、原告らの本訴請求はいずれも理由がないのでこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 足立昭二 裁判官 大原英雄 裁判官喜多村勝德は転補のため署名押印することができない。裁判長裁判官 足立昭二)

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